2020年5月3日  礼拝メッセージ

2020年05月03日

コロナ騒動で家庭で礼拝を守っている方に、この機会ですので、ふだん鷹取教会で読み進めているマルコ書、ローマ書から離れて、説教を届けます。

コロナ騒動で家庭で礼拝を守っている方に、この機会ですので、ふだん鷹取教会で読み進めているマルコ書、ローマ書から離れて、説教を届けます。

コロナ騒動で家庭で礼拝を守っている方に、この機会ですので、 普段鷹取教会で読み進めているマルコ書、ローマ書から離れて、 説教を届けます。


コロナ騒動で家庭で礼拝を守っている方に、この機会ですので、ふだん鷹取教会で読み進めているマルコ書、ローマ書から離れて、説教を届けます。 


先ず、次の聖書箇所を各自でお読み下さい。

聖書箇所 出エジプト記第14章14節 (口語訳 p.94 新共同訳p.116)

「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい。」

ここは極めて有名な場面ですので、出来れば本日の聖書箇所を含めて、第13章17節から第14章31節までを読んでいただければ、また感慨もひとしおと思われます。
そこに描かれた一見信じ難いような奇跡を通じて、聖書は何をメッセージしようとしているのでありましょうか。この名場面の核心をそこに刻まれた聖書自身の言葉を用いて簡潔明瞭に表すなら、「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。この第14章14節の御言葉に凝縮されるのではないでしょうか。そして、この14節の御言葉は、「紅海渡り」と呼ばれるこの場面だけではなく、およそ出エジプトの旅の本質そのものを言い表した一句ではないでしょうか。とすれば、これは私たちの信仰人生の核心に触れた御言葉であり、あらゆる困難(たとえば今回のコロナ問題)に向かい合う上で、私たちが決して忘れてはならない聖句であり、怖じ惑う私たちへの、この上なき励ましなのです。
先週、「哀歌」の第3章26節の御言葉「主の救いを静かに待ち望むことは良いことである」を確認しました。その部分、新共同訳では「主の救いを黙して待てば、幸いを得る」となっております。出エジプト記の本日の御言葉との繋がりは明らかです。しかし、「黙して待つ」「静かに待つ」とは、すなわち信仰における<沈黙>とは、何もしないことではなく、私たちに代わって戦いたもう神を信じて、粛々と「進み行く」ことです。そこにある信頼は無為ではなく、「黙して進む」ことなのです。ただ、戦いたもう主を祈り仰ぎつつ。
神はエジプトを出た民にわざわざ回り道をさせて、人間には渡れそうもない紅海に沿う荒野の道に導かれました。しかし、その回り道は、戦いに弱いイスラエルに対する神のご配慮だったのです。神の回り道こそ、本当の近道、守りの道なのです。その真実、その救いに気づくために、その時と同じように、いま我々の眼前に「出エジプト」の旅はあります。語ること多く信じること少なき私たちは、ただ、静かな信頼を神に捧げて、「黙さねば」なりません。たとえその回り道が平坦な道でなくとも「黙さねば」ならないのです。
それにしても第17章では水のないことに苦しむことになるイスラエルが、ここでは水(紅海)のあることに苦しんでおります。人間には何事も、「あって困難、なくて困難」なのです。実際私たちは、しばしばそのような体験をしないでしょうか。とすれば、ここから本当に大切なものが見えてくるはずです。大切なのは水そのものではなく、ふさわしい時に、ふさわしい形で、ふさわしい物を与えて下さる神。このお方に対する信頼なのです。
感染症などの危険に対して私たちは敏感です。しかし、主の救いを「静かに待って進みゆく」歩みが揺らいでしまうことへの危機。これに対しては鈍感なのかも知れません。

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